産業保健コラム

南部 知幸


所属:もみじヶ丘病院 理事長

専門分野:精神医学(精神病理学、青年期精神医学)

雑感

2022年9月1日

 精神科医として45年間臨床に係ってきた。能力不足、不勉強のせいもあり、臨床の知のなさを実感している。多くの患者さんと接してきた経験から、様々な訴えに、多少のゆとりを持って対処できるとの幻想はある。しかし、その対処が、望ましい結果に結びつくかどうか、その確率について確たる自信はない。患者さんの治癒力を邪魔しないようにと心がけてきたが、もう少しましな対応はなかったのか等、様々な思いに駆られる。
著名な心理学者は「何もしないことに全力を傾注する」と、敬愛した先輩は「聴いているだけで何もしてません」と話されていた。ただ、それらが成り立つには、前提に、しっかりとした臨床眼と人間力が必要と思う。

 もちろん症状の把握が重要で、そこから診断が導かれ、治療の方向性が定まることは、自明のことである。
若い頃、妄想問題に興味を持ち、偶然性の必然化や自己関係付けからの関係精神病中核論を思ってみたが、さしたる新鮮味なく、挫折を余儀なくされた。また思春期の病態に興味を引かれ、境界性人格障害に係ったが、自殺企図への対応に苦慮する日々を送ることとなった。ある患者さんは「死にたいのではない。無くなりたい。人魚姫が泡となって消えるように」と、他の患者さんは「心がしんどい」と表現された。生きる意味をどう育むのか、いまだ解決できず、ただ黙って聴くのみとなっている。
診断についても、約40年前に米国の診断体系が導入されて以来、頭の混乱が続いている。自閉スペクトラム障害、注意欠陥多動性障害と診断された患者さんに時に出会うが、よく解らない。また解離性障害でいとも簡単に幻聴が出現する事、その場合、統合失調症のそれとの異同が、論ぜられるほど簡単でない事にも戸惑っている。

 精神科も脳科学の一領域として明確化してきた。それでも心はあいまいである。漱石は「世の中に片付くなんてものは殆どありやしない」と書いた。日々迷いの中にある。

南部 知幸