産業保健コラム

南部 知幸


所属:もみじヶ丘病院 理事長

専門分野:精神医学(精神病理学、青年期精神医学)

雑感

2024年12月2日

 先日、「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」と言う映画を観る機会があった。90歳余での、その力強い指の動きに脅威の念を覚えたが、演奏は「魂が入った」ものであるべきとの言、また人生に一番必要なものはと問われ「愛」「皆な一人一人が幸せになるような」と語られたことが印象に残った。演奏家は、日々、数時間の練習をこなす事を常としており、精神性をも高める必要があると言う。身体と精神が高いレベルで統合された時に優れた音が出るのだと思う。

 

 約半世紀前、精神科を選択し、精神病理学に興味を持ち、その道を歩み始めたが、その頃の流行りの精神病理学は人間学派と言われ、実存哲学的な考え方の影響が強いものであった。それ故、哲学的素養や知力のない私なぞが関与できるものではなく、何らの成果も挙げ得なかったのは当然の事であった。しかしながら、精神を病む人が、病に伴い、どのように世界、身体、時間、空間と関係し得るのか、その在り様の変化を問うことは、心身の総合として人間を捉える全人的医療をめざそうとする者にとって、重要な問題であったとは思う。ただ人間学派は精神を病む基礎的原因や治療への結びつきに乏しく、その点では問題があったのかも知れない。

 

 時の流れとともに、科学は驚異的な速度で進歩し、AIが人間の知力を凌駕し、将来はAIが人間を支配する可能性をも危惧されるようになってきている。ある学者は「AIに聞けば何でも解決する世界がやってくる」と言う。悲しいかな、私自身、それら科学の最先端を把握することなど出来もしない。

 

 精神医学が、医学の中で最も心について学べるとの思いを持ちながら、営々とした歩みを続けてきたが、それも今や風前の灯火にある。しかし、人は迷い、悩み、不安に駆られながら日々を過ごしていることも事実である。その事実の中に、まだ精神科の留まるべき地盤があるのかもしれない。

南部 知幸