産業保健コラム
今坂 一郎
所属:
専門分野:シニア産業カウンセラー
多様化社会とオンライン社会に感じること
2022年8月1日
現代の社会では、多様化という言葉が耳に届くことが多いです。しかし、現に使われている多様化という言葉の中身を深く考えますと、「いろいろあってよい」いわば「何でもあり」に行き着いている、といえば言い過ぎでしょうか。
何か中心となる筋の通ったものが存在して、これと対比する形で多様化と称されるのであれば頷けるのですが、実際は単に表面だけを捉えて多様化と言われているように感じられます。つまり言葉で多様化と称するだけで思考停止してしまっている。さらに言えば、多様化社会で生じる多くの問題に対処するには、法律や規則やルールを定めるのが当然であるとして、この対処法が続けられている現状に不可解さを感じています。
少し視点を変えます。長引くコロナ禍に遭遇して、人との関係におけるコミュニケーションの取り方が、対面を減らしてオンライン方式に移行することが増えています。私はオンラインを使う頻度はそれほど多くないのですが、オンライン会議の場では、ある種の息苦しさのようなものを感じます。人柄がよくわからない初対面に近い人が含まれる場合は、その息苦しさが大きくなります。他者とのコミュニケーションにおいては、眼と眼が会うことが特に重要と考えますが、オンライン会議では眼と眼が会うことが皆無に近いです。
人間は身体と脳とが一体となっている動物です。これに関して書かれた著書(「脳と生きる」、藤井直敬・太田良けいこ)を興味深く読みました。この著書には、相対する人の相互の脳には、常に脅威と報酬という二つの要素が無意識的に働いていると書かれています。対面して眼が会うことで生じるリアルな共現在(キョウゲンザイ、臨床哲学者鷲田清一さんの言葉)の感覚が欠如し勝ちなオンラインの場では、人の認識が薄っぺらなものとなり、無意識による立体的な認識が欠ける可能性が高くなります。著書の結論では、相対する人の脳に備わる脅威と報酬の要素に着眼し、相手の脅威を取り除くことに努め、報酬を相手に与えてあげるのがよいと述べられています。
かつて養老孟司さんが「脳化社会」のことを指摘されていました。近ごろその意味が強く実感され、脳の特性と人間に関する自問自答を続けています。
今坂 一郎