産業保健コラム

武田 理栄子


所属:

専門分野:シニア産業カウンセラー・キャリアコンサルタント・心理相談員

田舎のメンタルヘルス事情

2020年7月1日

 産業カウンセラーとして、不調の社員の「カウンセリング」の依頼を受けることがあります。

 心も体も疲れてしまい休職を余儀なくされた人達は、どの人も生真面目で、誠実で、少し融通が利かないところがあったり、負けん気が強かったりと、それぞれの気質の強弱はあるものの、多くは他人の視線を必要以上に気にする傾向にあります。そして組織の空気感に波長をあわせようと無理をします。その無理が体の不調や心の不調となっていくのです。

 私は京都北部を中心に支援活動をしていますが、田舎町ならではの事例をご紹介します。

 

 男性のAさんは50代です。職場での人間関係に心も身体も疲れ、しばらく休職をすることになりました。産業医からは「毎日30分程度は軽く運動をするように」といわれ、午前中自宅近くをウォーキングをすることにしました。田舎ですので歩くところはいたるところにあり、Aさんは家から近い畑のあぜ道を散歩することにしました。1週間ほど経ったある日、近所の人が「最近、ご主人の車がいつも家にとまってるけど・・・」とスーパーで奥さんに声をかけてきたそうです。そのことを聞いたAさんは「やっぱり・・・」ととてもブルーになりました。Aさんは実家近くに住んでいて、両親はすでに定年退職し、先祖からの田畑を守り、コメを作ったり野菜を作ったりしていて、Aさんも農作業の手伝いをします。Aさんに限らず、人口5万人程度の田舎町の生活様式は、親が近くに住んでいたり、兼業農家だったりする場合が多く、職場への通勤はたいがい車です。このような田舎では車は必需品で一家に一台ならず一人に一台という生活様式が多いのです。

 Aさんはウオーキングを始めた時から気がかりなことがありました。それは「ご近所の視線」です。車が動いていないと「今日は休み」で家にいるということが遠くからでもわかります。車が動かない状態が何日も続くと「仕事をやめたのか?」「病気か?」などと憶測を呼びます。職場での人間関係に疲れて休んでいるのに、ご近所の目も気にしなくてはならないAさんは、仕事を休んでいても気が休まらない状態でした。

 このままではご近所によからぬ噂が広まると気になったAさんは、自分から「生産調整で、遅出になったり夜勤に入ったりして、勤務が不規則です」とご近所のうわさ好きに話をしたそうです。そうやってご近所対策をしつつ、十分休めていないのに職場復帰を急ぐようになりました。町の図書館に行っても、コンビニに行っても誰かに会ってしまったり、見られたりしてしまいます。一人になれる安全な場所がなかなかありません。

 

 6月の梅雨時期には、地域のあぜ道の草刈りや公共の場所の一斉清掃があります。お盆の頃はお墓の周辺の整備作業があります。村の人が集まった際には作業をしながら「あそこのおうちでは息子が転勤になったそうだ・・・」とか「あそこのおばあちゃんは介護施設に入ったようだ・・」などの情報が入ってきます。一人暮らしの高齢者が多い田舎の村では防災や防犯にはとても有益な情報ですが、いいことばかりではありません。畑の草刈りの時期が遅れると、ご近所の人の口を通じて「草刈りが遅い」とか、草刈りの仕上げについて「あれでは・・・あかん!」とクレームが耳に入ってきます。自分の畑はこの前まで草が生い茂っていたにも関わらず・・・です。自分の家や畑の範囲の管理を怠ると容赦ない攻撃を受けることもあります。集落の人間関係は時には重いものがあります。

 

 不調で休んでいる別会社の社員に「ご近所の視線」について尋ねると「ご近所の視線は結構重い・・。だから私はいったん車でいつものように出かけ、車の中で休んだり、隣り町より遠くの図書館に行ったりしました。」とのことでした。田舎ならではの「視線」が心を不自由にさせます。都会の無関心と田舎のおせっかいの程よいバランスがほしいと思います。

 

 自然豊かな場所では、日々の暮らしも穏やかに過ぎていってると思われがちですが、田舎の自然の豊かさも、美しい風景も、人の手によって管理がなされているからこその風景なのです。カウンセリングの中で語られるうつうつとした話の中に、田舎ならではのメンタル事情があります。

 社内環境だけでなく、当事者の生活環境についても耳を傾け「他者の視線」からの呪縛をほぐしていくことも回復へのサポートとなるでしょう。

武田 理栄子